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いらっしゃいませ

このブログは
京都に住む建築板金職人のおっさんが下らない思いつきをつらつらと綴るブログです。

カテゴリー分けもタグ付けも極めていい加減なので、サイドバーの検索窓を使って頂くとお好みの記事に出会えるかも知れません。もし、チョット読み進めてやろうかという方がいらっしゃいましたら、どうぞご利用下さいませ。

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京都のブログポータル 京つう by のりさん


音を出すときはボリュームつまみで調節してください

2010年09月01日

しんさん

 新町通り三条近くに、現在工事中の現場がありまして。

 そこの大工さんがですね、色々な問題に頭を悩ませていましてですね。

 チョット元気付けようか、なんて思いましてですね。

 「この現場で苦労するのは仕方がない! ココは新町三条。・・・、辛酸(しんさん)を舐めると申しましてね。新町三条、しんさんで、まぁ、場所が悪い!・・・、という事で!」

 と、言ったらキョトンとされた。

 ”辛酸を舐める”という言葉の意味がピンと来なかったらしい。

 なるほど、こんな言葉、普通に暮らしてたらそんなに使うこともないですよね。

 そこから、辛酸を舐めるという言葉の意味を必死で説明した私。上記のセリフの後に、自分で「ハハハ!」と笑い声を被せた上に「ほぉら、今、俺、面白いこと言うたで!」とドヤ顔までつけたのに・・・。今思い返すと、すばらしく恥ずかしい・・・。

 最近車の中で落語なんかをよく聞いていましてですね。”瘤弁慶”という落語の中に、「この男、京都は綾小路麩屋町という、・・・いたって、あやふやな所に住んでおりまして-」という一節がありまして。そこから、まぁ、言わば、パクったんですね。通りの名をもじって言葉遊びをしようという、ソレを。”新町三条”で、”辛酸”と。

 大体からして、日常会話の中で相手を笑わせるというのが不得意なのが私でして。自分が大きな声で笑う事で誤魔化しつける、というか、面白いこと言っているように錯覚させよう、みたいなのんが常套手段みたいなもんなんですけど。今回は見事に空振り、大すべりだった訳でございます。誤魔化しようもなかったような次第で。

 いや、ホント、笑いというのは、その場の空気、”間”のもんですよね。人を笑わせるのが上手い人っていますけど、その空気の持って行き様や、”間”の取りかたが上手なんですよね。私には、無理だ。適正がたぶん、ない。

 それでも、人がストレスを抱えているように見えるときには、これからも下らない事を言っていきたいと思います。私を見て、思い悩んでいるのがバカバカしく感じてもらえたら、それはアリですし、また、たまには何かの間違いでウケる事だってあるかもしれませんし。

 ま、ま、芸人に憧れているわけでもないので、ま、ホドホドに・・・とは思いますが。  

Posted by のり at 01:57Comments(0)TrackBack(0)ワタクシゴト

2010年08月27日

ABC

 以前、中部地方から京都へ来られた大工さんに聞いた話。

 「京都には中くらいの腕の職人が多いなぁ。もちろん、スゴイ良い腕の職人もいれば、たいした事の出来ない、手の悪い職人もいるけど、他の地方に比べて、中くらいの腕の職人が多い。他の地方はスゴイ職人か、悪い職人かしかいない。」

 らしい。

 上記の大工さんの言い分、これは京都を貶めようという評価に見れば、そう見えるし、京都を持ち上げようという評価に見ればそう見える。

 数字に表せばこうか。

 京都の職人の比率        腕の良い職人:普通の職人:腕の悪い職人 = 2:6:2  
 京都以外の職人の比率     腕の良い職人:普通の職人:腕の悪い職人 = 5:0:5

 このように大工さんの言を理解すれば、京都には良い職人さんが少ないんだね、てなもんですが、腕の良い職人なんてものは絶対数が少ないもんですから、・・・それはどの地方でも絶対数が少ないのは変わりがないわけですから、実際には

 京都の職人の比率        腕の良い職人:普通の職人:腕の悪い職人 = 2:6:2  
 京都以外の職人の比率     腕の良い職人:普通の職人:腕の悪い職人 = 2:1:7

 こういうニュアンスで、その大工さんは言った訳です。いわば、褒めて下さったわけですね。京都を。京都外の方が。

 京都の外の建築業界の実状を見知っている訳ではないので、かの大工さんが言った説を実感など出来ない訳ですが、なるほど、京都には数多くの寺社仏閣、数奇屋建築に茶室に庵がある。それは他の地方と比べても、恐らく郡を抜く感じで。

 私なんぞは、まぁ、贔屓目に見て、ちゅうくらいの手ぇの職人でしてね。そんな私の様な、上の手ぇを持っていない人間でも、寺社仏閣や茶室なんかに携わる機会があるわけですから、普通の、中くらいの腕の人間が増えるのんかな、と。・・・お地蔵さんのお社の屋根なんかも葺いたりしますし。そして、こういう仕事は京都ではあまり珍しくないですし。

 「くだらないもの」という言葉の語源は、”京を下ることの出来ないもの”であるらしいですね。昔は京都が都だったわけでして、京都から他地方へ行くことを、”下る”と言ったそうです、人でも物でも。で、京都で作られる陶器や織物、はたまたお菓子の類もあったんでしょうかね、それらが京都から他地方へ売られる時に、ですね。いわゆる二等品というものは出回らなかったらしいんですね。それは、作り手のプライドか、商人の面子か、それは知りませんが、京都の恥を外に出すな、的な空気が、その昔、あった、らしい、んです。

 京都の恥を外に出すな、ってな空気が今あるのかどうか、それはチョット分からないところなんですが、同業の人間に見られて粗を見つけられるような仕事はしない、という職人の見栄は今でもありまして、たぶん、それは、他地方の人よりはクドイ目に。

 ですから、ですね。この大工さんの言った事は本当なのかも知れないな、なんて思ったりします。

 ・・・、ただ、上記の比率に表した数字は適当なんでね。コレについてはお咎めなしの方向で読んで頂きたいですね。ニュアンスですから。ニュアンス。

 あ、そうそう。京都の職人のレベルが高い、とすれば、それは職人の仕事の良し悪しを知っている素人さんが多かったから、っていうのもあるかと思います。

 良い仕事を知っているお施主さんの前では下手なことできませんからね。

 京都の職人の腕のレベルを維持、または上げていくためにも、素人の方には審美眼(・・・と書くとチョット違うかな)をシッカリと持ち続けて頂きたいですね。

 私も頑張っていこうと思います。  

Posted by のり at 23:33Comments(0)TrackBack(0)京都の話

2010年08月23日

No thank you

 今日は年一回の友人と卓を囲む日でした。

 麻雀。

 下手の横好きの私。頭をカッカさせながら打つ夏の終わりの午後。

 まぁ、それは良いとして。

 場所を提供してくれている友人が、ハードディスクレコーダーに録りためたTV番組を流していてくれていたのだけど、その番組が先週の邦楽のヒットチャート番組で、100位から1位までをカウントダウン形式でミュージッククリップを流していくものでして。基本、音楽がバックで流れているだけのようなものですから、ゲームには差し障りもない、どうということもないものなんですが、なんというんでしょうか。本当に知らない曲ばかりで。

 100曲もあれば、知らなくても耳障りの良いメロディラインのものが一曲くらいあっても良さそうなものなんですが、見事にそういうのがひとっつもなくって。

 これは私がおっさんになって音楽的感性がしなびきってしまったからなのか、それとも邦楽のヒットチャートというものがどうにも惨憺たるモノになってしまったのか、どちらなんだろうな、なんて思った次第です。

 音楽ってのは、流行っているから良いというものでもないし、歳をとっているから理解できないというものでもないと思うのですが、どうなんでしょう。

 知らない曲を聴いて、「おっ、これいいな、誰のなんていう曲?」なんて事があってもいい・・・、というか、そういう刺激は常に求めているのですが、今日はそういうことが一切なかったです。・・・うーん・・・。

 逆に言えば、ヒットチャートに挙がらない曲でも素晴らしいものってたくさんあるんでしょうけど。ヒットチャートに挙がらなければ、その曲は商業的な成功をおさめてはいないわけで。

 いくら素晴らしい作詞作曲演奏歌唱を提供した人間でも、商業的な成功をおさめない限り、その才能は枯らしていくしかないのかな、なんて思ったり。

 いやいや、音楽なんてものは、TVメディアに取りざたされるのが第一なわけはない。文化として根付いているものは、生演奏を通じて、聴衆に感動を与え、それにふさわしい対価を得ているはず。TVメディアに取りざたされるようなものは、基本的に、多くの商売に結び付けられて、多くの人の飯の種になるものなんだろう。より多くの人の財布を満たすことの出来る音楽と、より多くの人に感動を与える音楽とは方向性がまるで違うのだろう。

 そういう考えに至ると、なるほど、今日のヒットチャートに挙がっていた曲は、音楽という範疇を超えたところでの商売に繋がるものが多かったように思う。

 音楽において、感動、発見を求めるのなら、私にとってはTVよりもインターネットの方が、有意義だな、と思いました。


めくれたオレンジ / 東京スカパラダイスオーケストラ


 ちなみに、麻雀。信じられないくらいの大敗を喫しました。  

Posted by のり at 00:12Comments(0)TrackBack(0)ワタクシゴト

2010年08月20日

四十にして惑わず

 私と、知り合いの大工さん。車の中で、どーでもいいような、チョットいい話なような会話を続けて二時間弱。それは仕事終わりの帰り道。

 私が37歳で、彼が38歳で。

 あぁだこうだと話す中身に艶などありはしません。割と真面目なおっさん同士、色気のイの字もありはしなかった訳ですが、そこはそれ。それなりに世慣れた三十路の男。会話を楽しむ、というスキルは二人ともそれなりだった訳でして。

 真面目な話、日常の話、仕事の話、バカ話を一通り終えた頃に、ふと、お互いの年齢を思い返して、私が「四十にして惑わず・・・、もうすぐやね。ホンマに惑わへんもんやろか?」みたいな事を言ったら、「あれって、ちょっと違う意味なんとちゃうやろか」と返された。

 大工さん曰く、”惑う”というのは何歳になってもあると思うし、逆に惑わなくなったら、成長もしなくなるようにも思う。自分はコレでいいんだ、自分の道は正しいんだと言いきってしまったら、ただ、繰り返しだけの人生になってしまうのではないか。あの”惑わず”は”腹が据わる”みたいな意味と違うかな、と、このような事だった。

 なるほど、それは面白い。私なんぞは、毎日グラグラと揺れているようなもんで、コレをすべきか否か、コレはコレで良いのか否か、アレはあぁすべきだったんじゃないか、とか惑い倒しているような次第で。だから、”四十にして惑わず”を”四十歳になったら腹が据わる”と解釈したら、すごくしっくりきた訳で。

 ”四十歳になったら腹が据わる”をさらに言いかえたなら、”四十歳になったら、多少の事にはオロオロしなくなる。物事への覚悟がスッとできるようになる”、と、このようなところか。

 辞書なんかには 【四十にして惑わず】 -人は40歳になれば、道理を知って迷わない。→不惑(ふわく)- みたいな訳のわかったようなわからないような説明しか載っていない。

 偉い人の含蓄ある深い言葉なんかは、それぞれがそれぞれで自分なりの解釈をしたらいい、そんなものなのかも知れない。

 私は、コレでいこうと思う。

 【四十にして惑わず】 -人は四十歳になったら、多少の事にはオロオロしなくなる。物事への覚悟がスッとできるようになる-

 そして、四十歳になった時、やっぱり、今と同じように、アレでいいのか、コレでいいのかと惑うのだ。

 たぶん、それでいいと思う。

 ただ、何事にも、すっと覚悟を決めて立ち向かえる、そんな風にはなりたい、そう思う。  

Posted by のり at 21:32Comments(0)TrackBack(0)ワタクシゴト

2010年08月20日

money

 「世の中、結局のところ、最後にモノいうのはコレ(お金)だよ」なんて言いますね。

 どこぞでは、地獄の沙汰もカネ次第、なんてぇセリフも聞きますでね、この世だけでなく、ポックリ逝った後も、ついて回るのがお金、というものらしいですね。

 とかく、この世は(もしかしたらあの世も)、お金っていうのが力を持っていましてですね。幸せイコールたくさんのお金、と思い込んでいる人も多い、まぁ、世知辛い世の中です。

 もちろん、私の様な”持たざる者”は、ですね。「イヤイヤ、お金じゃないよ~。お金で買えないものは色々とあるし、お金があれば必ず幸せという訳ではないもんね」なんて事を言ったりもするんですけど、そうは言うものの、お金のない事の辛さも知っていますし、お金で買える幸せってのが結構ある、という事も知っている訳です。

 美味しいっていうのは、大抵幾ばくかのお金と交換ですし、暑い時に涼しく過ごす為にも、寒い時に暖かく過ごす為にもそれなりのお金は必要ですし、面白いとか楽しいとかにも、お金の必要な事が多いです。税金なんてものを納めている以上、息してるだけで、お金を払わなくちゃいけない、なんて気にもなります。あー、最後のは蛇足ですね。ケチ、というか、チンケな感じが我ながら情けない。

 ただね、ブログなんてやってる私が言うのもなんなんですけどね。

 あのー、他人の不幸を写真に撮る・・・、報道カメラマンさんは別としてですよ。事件現場や事故現場に群がって、携帯電話のカメラ機能でその様を映す。こういう人は、いくらお金を持っていようが、不幸だな、と思うんですよ。

 たぶんね、ブログにアップするなり、誰かへのメールに添付するなり、または直接誰かに見せるなり、するんでしょうけどね。その写真データは。そういうのって、モラルの欠如って気もしますし、モノに頼らないとコミュニケーションを取れない不器用さにも見えますし、「あるものは使え」的な強迫観念で、モノに使われてる、という気もします。

 総合的に見て、情けない。

 もしかしたら、そういうデータも報道メディアに売るために録ってるという人もいるかも知れませんが、なんというか、人の痛みをことさらに軽く扱えるというのは不幸以外の何ものでもないように思います。

 私達の暮らす日本というのは競争社会ですから、仕事をしている以上、勝った負けたがありますし、仕事上で勝つという幸せを得たならば、その裏に負けて泣いている人だっているわけです。

 ですから、全ての人の不幸を救済するような事は出来ない訳ですが、”仕事で誰それに勝つ”というのは、まず、その前に自分に勝っていないと出来ない事です。弱い甘えた自分に勝つことで、ついてくる結果が”他の誰かに勝つ”という事です。たぶん、競争社会の健全な姿というのはココにあるのだと思います。

 それで、ですね。克己心を奮い立たせた訳でもないのに、他人の不幸を軽んじるような、上述のような行動は誠に情けなく、不幸な人だな、と思うのです。

 同様に、怒鳴って利を得ようとする人、弱者の立場を目一杯活用しようとする人、恩を仇で返す人などが不幸だな、って思います。いくらお金をもっていようとも。

 まぁ、こういう事も、赤貧の身の上では「負け犬の遠吠え」になってしまいますので、明日からもなんとか頑張っていきたいと思います。暑いけど。

  

Posted by のり at 00:06Comments(0)TrackBack(0)ワタクシゴト

2010年08月16日

今夜、みんな帰ったら、もう一杯どう? 二人だけで


ずっと好きだった / 斉藤和義


 同窓会で初恋の女の子に語りかける、或いは心の中でその子に語りかけている、そんな情景が浮かぶ斉藤和義の最新曲。

 こういう甘酸っぱい再会がある同窓会って、なんだかいいなぁって思う私は、そういえば結婚していた。そうそう、子供もいるよ。「今夜、みんな帰ったら、もう一杯どう? 二人だけで」 こんなセリフは言ってみたいけど、ちょっと言えないな。残念だけど。

 ふと思ったんだけど、同窓会で再会した初恋の相手にチョット言い寄る、なんてシチュエーションは、まぁ、ない事はないんだろうけど、男って、自分がそういう行動を起こすかもしれない、なんて事は想像できても、妻がそういう行動をとる、または、同窓生の男にそんな風に言い寄られる、なんて事はあんまり想像しないような気がします。

 反対に女の方は、いつでも夫がそういうふしだらな行動に出ないか、常にアンテナをピンと張っている、そんな気がします。

 私一個人の思い込みかもしれませんが、上記の内容に同意してくださる方は結構いるのではないでしょうか。

 なんなんでしょうね、この差は。

 探偵社に配偶者の浮気調査を依頼する場合でも、夫の浮気調査より妻の浮気調査の方が基本料金が高いらしいです。女は巧妙で、男はザルだから・・・、みたいですよ。その理由は。

 何人かの知り合い(男性)は妻子ある身で、妻とは別の女性との青春を謳歌しているのを話してくれますが、大抵妻の方は気付いてるんじゃないかな、なんて思いますね。

 気付いていながら、黙っている。それは古き良き時代の一歩身を引くつつましさ・・・かもしれませんが、何らかの企てがあるのかも知れません。

 おぉ、こわ。

 火遊びって刺激的で楽しいものですけど、全てを失ってしまう火事に発展してしまう事だってあるんですよね。

 気をつけないといけません。

 マッチ一本火事のもと。

 消防団員でもある私から、一言、申し添えておくのでございます。  
タグ :斉藤和義

Posted by のり at 01:51Comments(0)TrackBack(0)ラヂオ4054