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いらっしゃいませ

このブログは
京都に住む建築板金職人のおっさんが下らない思いつきをつらつらと綴るブログです。

カテゴリー分けもタグ付けも極めていい加減なので、サイドバーの検索窓を使って頂くとお好みの記事に出会えるかも知れません。もし、チョット読み進めてやろうかという方がいらっしゃいましたら、どうぞご利用下さいませ。

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京都のブログポータル 京つう by のりさん


音を出すときはボリュームつまみで調節してください

2011年08月25日

唐揚げと串、そして紙コップ

 今日は近所の天神さんの夏祭り。妻と娘と、三人で出かけた。

 軒を連ねる様々な屋台と客の群れ。人の熱気と多くの屋台にある熱源で、夜の境内はさながら赤道直下。喉は冷えても、後で体温があがるというのに、「お祭りだから」と、缶ビールを買って飲む。お祭り価格の贅沢ビールを。

 そして、やっぱり、体温が上り、「暑いー」と汗の量を増やすのだ。それゆえ、また、ビールを買う。

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 夜店というのにも流行り廃りがありまして。今年目新しかったのは、ぷにぷにだますくいというヤツでした。スーパーボールすくいの亜流ですね。「めっちゃ跳ねるよ!」が売りのスーパーボールに対して、「なんか、ぷにぷにするんよ・・・」って感じの脱力系アイテム、ちっちゃいボール。まー、色々考えては売り出してくるものですね。

 最近はすっかり定着したような感じがありますが、紙コップに串に刺した唐揚げを入れて売ってるやつ。あれも、数年前までは、言わば、夜店の新参者だった様に記憶してます。

 唐揚げを串に刺す、というのは分かるのだけど、それを何故紙コップに入れるのか?最初に見たときにはそんな違和感があったように思います。

 でも、考えてみれば、それなりに合理的だな、と思えてくるわけで。

 屋台の店先はスペースが限られていますから、省スペースは重要な課題ですし、紙コップに入れて並べておくというのはその辺、理にかなっているように思います。

 また、焼きそばの容器やフランクフルトの皿よりも、買った客が食べながら歩くのに適しているようにも思えます。

 なるほど、例え最初に違和感があったとしても、利に適っていれば受け入れられて、定着するものですね。

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 妻に買った唐揚げ串。「最後、食べる?」と妻が娘に残りを与え、「はい、おとうさん!」と、娘から私に紙コップと串だけがまわって来まして。

 その、私が紙コップと串を見つめた数秒は、本日のコラムに、昇華。  

Posted by のり at 23:00Comments(0)TrackBack(0)ワタクシゴト

2011年08月25日


猫になりたい / スピッツ


 猫はいいよなー。

 猫になりたいなー。

 猫を飼っていた事もあるんだけど、

 いいよなー。

 孤高で気まぐれで、可愛くて。

 生まれ変わるなら、断然猫だなー。

 あー、落語”不精の代参”の枕では、

 無精者が生まれ変わる動物に猫を選んでたなー。

 猫は猫で大変なこともあろうかと思うけれども、

 楽そうだもんなー。  

Posted by のり at 00:01Comments(0)TrackBack(0)ラヂオ4054

2011年08月22日

”ずっと嘘だった”について


スナフキン・ソング / 斉藤和義


 googleで【 斉藤和義 名曲 】と検索をかけると、このブログの記事がトップに出てくる。

 ちょっと勘弁して欲しい。

 たいした事書いてないし。

 アクセス解析をかけてみると、他にも検索一位になってしまうワードがいくつかあるみたい。

 ホントちょっと怖い。

 たいした事書いてないし。

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 おかげさまで、僕が斉藤和義を好きだというのは、友人達にも知れ渡っていまして。

 この間の大文字の送り火鑑賞に招かれた時に、その友人の奥様に言われたのですが、「斉藤和義の反原発のヤツ知ってる?」と聞かれましてですね。

 「”ずっと嘘だったんだぜ”でしょ? 知ってるよ。 ネットでも話題になってるんで前から知ってたんだけど、今のところ聞いてない。アレはアレでロックなんかも知れないけど、何となく、引いて見てる」見たいな事を言ったら、変に感心されました。

 反体制ってロックの基本姿勢だと思う。だから、原発や東電を批判するのはロックだと思う。

 ただ、それがオリジナルソングじゃなくて、商業的にそれなりに成功を収めた”ずっと好きだった”の替え歌ってところが、チョットスマートじゃないな、って思うわけで。

 ただ、商業的に成功を収めた歌を替え歌にするからこそ、話題性も上がるという事で、多くの人にその批判を聞かせる事ができる・・・という方法論としては分からなくはないし、それはそれでロックかも知れないとも思うわけで。

 また、この替え歌についてはソコソコ批判がありますし、その批判を受けてなお、この歌を歌い続けるというのがまた、ロックに見えたりもする。

 そんな複雑な思いもあって、検索をかければいつでも聴くことのできるこの曲を、今のところ聴いてはいないわけです。

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 ちょっと、あれですね。

 好きな女の子の、当たり前にある、暗部・・・みたいなものに目を塞いでしまう男子中学生的な心境でしょうか。

 「そんなことは分かってるけど、知ってしまいたくは、ないんだよ・・・」みたいな感じ。

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 半端なバカになるのはカッコ悪いぜって歌っていた斉藤さんですから、

 バカになろうが、バカにされようが、信じた道を突き進んで欲しいし、そんな斉藤さんをこれからも応援していきますけど、

 ”ずっと好きだった”を僕はいい曲だなって思うので、聴くとイメージがグラグラしてしまいそうな、替え歌の”ずっと嘘だった”はこれからも聴かないようにすると思います。  
タグ :斉藤和義

Posted by のり at 21:55Comments(0)TrackBack(0)ラヂオ4054

2011年08月16日


ケツメイシ / 涙 


 うだる様な暑さの中で仕事をする。

 Tシャツが背中にベトッとついて気持ち悪い。たまらず脱いでギュッと絞れば、コップ一杯分はありそうな汗が、沸いたアスファルトを黒く染める。

 当然喉はカラカラに渇いていて、口の端から溢れる事も構わずに水をムリヤリ流しこむ。

 こぼれた水が首をつたう。その感触は心地イイ。

 ドロドロに濃くなった血が、少しはサラッとしかけた頃か。

 なぜだか、涙がこぼれそうになる。

 あぁ。そうか。

 泣きたかったんだな。

 泣きたくっても、渇ききっていると泣けないんだな。

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 なんつって。

 でも、喉がカラカラの時に急に水分を摂取すると、泣きそうな感じになります。

 多分、汗のかき過ぎで体内の水分が失われている時って、瞳を濡らす為に常にある涙も、血がドロドロになるのと同様に水分不足になるんだろう。

 まぁ、言わばドロドロな涙で瞳を保護している状態なんじゃないかな。

 そこへ、急激な水分補給がなされることで、体全体へ一気に水分が送られていく。当然涙腺にも。

 で、ドロドロな涙が何とかかんとか頑張って瞳を保護していたトコへ、援軍の到着とばかりに増産された涙がババッとやってくる。

 そのときの感覚が涙がこぼれそうになるって感覚なんだと思う。

 だから、泣きたい時には思いっきり汗をかいて、その後で思いっきり水を飲めばいいと思う。

 いっそ、今度から、現場でワンワン泣いてやろうかと思う。

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 急にがぶ飲みしたから、むせて涙が滲んだだけという考え方もある。  

Posted by のり at 11:11Comments(0)TrackBack(0)ワタクシゴト

2011年08月12日

アレコレ

 考え方の基本が違っていると、相互理解は非常に難しい。

 自分に不利な事は隠して、自分に有益ならば嘘をつくのさえ正当だというスタンスの人間と、隠し事や嘘がばれた時にはより大きなリスクを得てしまう事を認知し、嘘や隠し事を極力避けるというスタンスの人間では上手く付き合いが出来ないだろう。

 前者は後者の言動の中に隠蔽や嘘があるという前提で後者と付き合おうとするし、後者は前者の言動に隠蔽や嘘など無かろうという前提で前者と付き合おうとする。

 上手く行くはずがない。

 それぞれが額に「嘘つきです」「正直者です」と書いて生活でもしていれば、お互いにそれなりの距離を置いて付き合うことも出来るだろうけど、それはありえない話。

 太古の時代から、「何故、正直で清らかな人間が辛酸を舐め、悪人が世に栄えてしまうのか」との嘆きがあった。

 基本的に嘘つきや悪人は強いんだろう。上記の二者間でも、どちらが得をしやすいか、損をしやすいかを考えてみれば、それは自明だろう。

 ただ、人生は損得だけじゃない。

 自分で自分をどれだけ評価できるかが、満足度の指標となるんじゃないか。

 自己満足と言うと安っぽくて、狭い自分の中で完結してしまう矮小なもののように見えないこともないが、自分が満足しないで、自分の人生を誰が充実させてくれるのだろう。

 正直者は嘘や隠蔽で得たものに満足を感じられない。

 だから、嘘つきにヤラれてしまう。嘘や隠蔽で対抗できないが故に。

 だったら、正直者の対抗策はなんだろう。

 それはきっと、嘘つきを嘘つきを見抜く術を持つこと、そして、嘘つきと見抜いた相手とは必要最低限の付き合いしかしないこと、だと思う。

 私は、嘘をつくこともあるし、真正直でいることもある。たぶん、普通の人間だろう。

 自分で許容できる嘘のシチュエーションって人それぞれだと思う。「こんな嘘はかわいいよね」「ここで嘘つくなんてありえないよな」って。

 人の言動に疑いを持つのは常に自分基準だから、相手を自分に置き換えてみて、その時が自分が嘘をつくかもしれないようなシチュエーションだったら、その相手の言動に疑いを持ったりはするかもしれない。でも、「ここで嘘つくなんてありえないよな」ってシチュエーションだったら、相手を信じてしまうだろう。

 ”嘘をついても良いシチュエーション”がどの程度だったら人を”嘘つき”と断罪できるのか。それはよく分からない。

 でも、「はじめまして」の時に自分の出自を偽る人間は、以降もずっと嘘をつき続けるんだろうな、って思う。

   

Posted by のり at 10:51Comments(0)TrackBack(0)ワタクシゴト

2011年08月10日

スカロウ ルカロウ



 立秋が過ぎましたが、まだまだ夏は終わりそうにないですね。

 この暑さは、暦の上ではすでに残暑なんだそうですが、残暑と言うには暑い日々が随分と長そうですよね。

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 夏は何と言ってもビールが美味いんですけど、先日買ったビールは不味かった。

 某スーパーのトッ●バリュブランドのビール。

 原材料の表記が麦芽とホップだけだったので「お、本格的なビールかな?」と買ってみたら、アルコール臭くって、ビールらしい香りが死にまくりでした。

 まぁ、発泡酒並みの値段だったので、推して知るべしだったのでしょうけど。

 安かろう、悪かろうってのは、旧世代のものかな、なんて漠然と思っていましたが、いつの時代だって、良いものは高いし、安いものはそれなりなんですよね。

 当たり前か。  

Posted by のり at 20:30Comments(0)TrackBack(0)ラヂオ4054